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    私には両親がいて、それらは船へ乗ったのだった。
 海を行く大型船は、段々と輪郭だけが浮き出てきて設計図のような線の集まりになっていった。軽くなりすぎたようだ、船は海を置いていかねばならなくなった。違う。小さい頃はあれほど生き生きとしていた海は、何の特徴も無くなって下らない世界で死を得たわけだ。海が砂となってさらさら崩れていったのか、それとも船が強情にも海を嫌いになったのか、分からない。どちらにせよ船は海を出てゆっくりと高度を上げ、上空に碇を下ろした。文字通りの飛行船が東京上空にいて、早朝五時の弱い光線に焼けてより一層輪郭を細切れに見えにくくしている。船はどうすることも出来ずただ船として無機的に存在している。私の両親はその船へ乗った。
 思い返せば父も母も保守的な人間だったから、目新しいものや得体の知れないものに好感を示すなどあり得ない。だから私は彼らの乗船を、しばしば批判すべき行為として友人に話す。自己の欲求に反しているだとか、自己犠牲に酔ったのだなどと批判してみせる。しかし友人も冷静だから黙っている。人はよく黙る。黙って何かをするか、何もしない。私も黙ってみる。船の汽笛が聞こえてくる。